第13回 海外勤務者健康管理研修会(2012年2月25日、東京慈恵医大大学1号館、東京)第13回研修会のテーマは生活習慣病で、糖尿病や高血圧、心臓病、慢性腎疾患等を有する労働者を海外に派遣する場合の諸問題について講演とシンポジウムで議論して頂いた。 最初の講演は、全日空運行本部 グループ運営推進室 乗員健康管理部長 首席産業医の五味秀穂先生に、「海外派遣と海外・渡航医療事情」と題してお話頂いた(座長は濱田篤郎東京医大渡航者医療センター教授)。五味先生は1996年から1999年にかけて、ロンドン日本クラブ・クリニックで駐在員やその家族、また、留学生や旅行者の診療をしておられた。現在は航空会社の産業医として、また、日本渡航医学会の理事としてご活躍で、海外渡航者の生活習慣病対策について造詣が深い。 前半の講演では、慢性疾患を抱かえる渡航者についての考え方を述べられた。一般的には、1)主治医との相談、2)英文診断書、3)日程分以上の薬持参、4)旅行傷害保険への加入、5)渡航先の医療機関の調査、6)ワクチン接種などが必要であると話され、以下、各論に移られた。 先ず、旅行中の死亡原因とトップである心臓病については慎重な評価と対策が必要で、急性心筋梗塞発症後3週間以内(合併症がある場合は6週間以内)、不安定狭心症、冠動脈インターベンションやバイパス術後6週間以内、重症心不全、治療抵抗性不整脈発作、コントロール不良の高血圧などは渡航を見合わせた方がよいと話された。心臓ペースメーカーや体内除細動器を装着している場合は空港等で説明できるよう、証明書を作成してもらうことも勧められた。 糖尿病については、HbA1c(JDS)が8%以下が渡航可能な目安であること、インスリンや針を持ち歩く場合は出入国や空港セキュリティーでトラブルを起こさないために主治医に診断書やインスリン携帯・使用証明書を作成してもらうこと、搭乗予定便の往復の出発・到着時間・機内食の時間・回数等を事前に調べておくことを勧められた。乗り物酔いで食事が取れずに低血糖になったり、αグルコシダーゼ阻害薬で気圧が低くなる機中では腹部膨満を来たしたりする懸念について対策を述べられた。さらには、時差がある場合のインスリン量の調整の仕方についての計算式を提示された。 腎不全・腎透析中の方については、貧血が改善されていること(Hb10g/dl以上)、良好な血圧、浮腫/脱水がないこと、K6.0mEq/l以下など腎不全のコントロールが安定していることが前提であるとされた。腹膜透析中の方は業者(バクスター社)に渡航先への配達を依頼し、機内でのバック交換が困難なので搭乗前に空港内で交換できるよう航空会社に相談しておくことを勧められた。さらに血液透析中の方には、事前に透析施設を予約し、透析の無い日に移動すること、穿刺の仕方や透析方法についての英文診療報告書の準備することなどを話された。 さらに、精神疾患を持つ方については、海外で精神科に行く事は言葉の問題もあり、大変困難な状況になりうること、また、渡航中に統合失調症や心因反応、パニック障害などが急激に悪化する可能性があると指摘され、1)渡航の動機が不自然・曖昧でないか、2)時差や急激な気候の変化が心身に負担にならないか、3)言葉や生活習慣の違いでカルチャーショックに陥らないか、4)継続的・規則的な服薬ができ、親戚・友人などが現地にいるか、5)旅行傷害保険への加入や経済的裏付けがあるか、の5件を満たしていることが渡航許可に必要だと話された。 後半に海外駐在員の健康管理に関して、健康管理体制やその課題・評価について話された。中国や東南アジアなど現地の医療体制や衛生環境が国内より悪い派遣先については、駐在員による現地他企業・医療機関・大使館(領事館)とのパイプ作り、健診休暇制度の充実、産業医や人事・勤労スタッフの巡回頻度の向上と最新現地状況の把握などが課題で、海外駐在員担当の産業医・看護師を配置し、きめ細かな健康相談・アドバイスを心がけることが求められているとされた。 次のシンポジウム「海外派遣者の渡航を不可にする条件〜送り出す側、受け入れる側の考え方・仕組み・事例」では、送り出す側として、日本を代表する企業であるトヨタ自動車(株)統括産業医の岩田全充先生、及び、中小企業を含む企業の海外派遣者の健診やワクチン接種を行なっておられるトラベルクリニック新横浜の古賀才博先生に、一方、受け入れる側として、過去にマニラ日本人会診療所での診療経験のある外務省診療所医師の宮本悦子先生にお話を頂いた(座長は、中西一郎東レ(株)滋賀事業場健康管理センター所長)。 最初に登壇されたトヨタ自動車の岩田先生は、先ず会社の概要と海外生産の現状、海外赴任者の状況、海外赴任者健康管理の社内関係部署について話され、入社15年目で社員の2人に一人は海外経験があることを紹介された。赴任6ヶ月前に赴任候補者のこれまでの就業制限の有無や最近の健診データをもとに赴任の可・不可を判定し、赴任不可なら候補者を変更すること、赴任可の場合はメンタルチェックを含む赴任前健診を行い、赴任可・赴任不可・要指導の判定を行うこと、要指導の場合は保健指導や医療指導により条件付赴任可とする場合がある、など赴任決定までの流れを説明された。不可基準については、疾病名と病態レベル(例えば糖尿病でHbA1c7%以上)が決まれば自動的に海外派遣不可の判定がつくこと、実際に派遣するのかどうかは上司の判断になるが、問題があれば上司が派遣リストから外すことが多いこと、要指導となる場合の例、会社診療所・トヨタ病院で実施しているワクチンとその実施間隔などについて紹介された。 海外赴任中の健康管理については、原則現地の健診機関を利用して18歳以上の帯同家族を含め、国内にいるのと同等な健康診断の実施を基本方針とし、健診結果のデータベース化やフォローメールを送るなどの事後措置を実施していると話された。中でも、長期休務者(2週間以上)の取扱いについては休務発生後2週間以内・2〜3週間後・6〜7週間後・復帰前の各段階で実施事項とその担当者が決められているなど、対応がシステム化されていることを示された。さらには、赴任地では治療が困難で緊急性があり、飛行機に乗れる場合には、本人・職場の意向、現地主治医の意見、搬送会社の意見を参考に本社産業医が判断して緊急帰国をさせているとして、具体的な事例を提示していただいた。緊急帰国事例を増やさないために、赴任前の健康チェックを厳格にし、緊急事態発生の予防が重要と結ばれた。 2番めに登壇された、トラベルクリニック新横浜の古賀才博先生は中小企業における海外勤務者の健康管理について講演された。JETROの統計では中小企業の進出先では中国>米国>タイ>ヨーロッパ>台湾などの順であるが、円高や人件費の関係から製造コストのより安い地域に進出しつつあり、特にBOP(Base Of Pyramid)と呼ばれる年間国民所得300ドル以下の国・地域へも出て行かざるをえないこと、そのような地域では衛生状況が劣悪で医療インフラも整っていないため、これまで以上の健康管理、予防対策が要求されていると強調された。しかし、中小企業ではそもそも健康管理スタッフが不足しており、地域産業保健センターや産業保健推進センター、民間の派遣会社、医療機関など外部機関の活用が必要であるとされた。海外進出する際に必要な知識や情報が乏しく、インターネットによる情報収集も必要に迫られての場合が多いが、現場をみないと本当のところはつかめないことから、関連企業からの情報を共有するためのサイトを作るなどの体制づくりが必要であると話された。派遣する社員に健康上のリスクがあっても中小企業としては派遣しないという選択肢はないため、サポート体制の整備が大きな課題であることを強調された。 最後に登壇された外務省診療所の宮本悦子先生は、かつてマニラや中米(コスタリカ、ニカラグア)で勤められた経験から、途上国における在留邦人の生活習慣病やメンタル疾患の状況を踏まえて、「受け入れる」側の立場からの赴任不可条件について報告された。特に前任地のマニラでは、接待の増加によりアルコール量が増えたり、door to door の生活で運動不足になったり、なんとなく薬をやめるなどして2年を超えると生活習慣病の増加・悪化がみられること、メンタル不調の背景として29%が家庭の問題、25%が仕事・学校の問題、8%が異性問題であり、日本での状況と同じような印象を持っていると話された。外地に赴任して健康問題を引き起こす方には、充分に準備できずに何がなんだかわからないまま赴任した人が多いとの認識から、渡航前の心の準備・身体の準備・物の準備・家族の準備が重要であると強調された。万一、赴任地で予測しなかった健康問題が発生した場合には、途上国であっても然るべき医療機関には有能な専門医は必ずいるので安心であると話された。 企業によって不可基準はいろいろありうるが、多少のリスクをおかしても赴任しなければならない場合には、事前の十分な準備や赴任後のサポート体制の一層の充実が求められていることが全体としての結論となった。 |