第11回海外勤務者健康管理研修会の記録(2011.2.26)
2011年2月26日に第11回海外勤務者健康管理研修会が開催された。感染症に関する講演と、メンタルヘルスをテーマにしたシンポジウムが行われた。
講演:「海外勤務者の感染症対策」
東京医科大学病院渡航者医療センター教授の濱田篤郎先生が講演された。
近年はSARSやインフルエンザの流行などにより、社会的にも感染症に注目が集まり、企業においても健康管理上及び経営上に大きな損害をもたらす危機管理の重要な課題として挙げられていることを述べられ、1) 国際的な感染症の動向、2)季節性及び鳥インフルエンザの状況、3)感染症対策において何が大切か、についてご説明された。
1)国際的な感染症の動向について
(1) コレラについて
ハイチでは2010年10月から強毒型のコレラ患者が急増し、大流行したとのことである。このコレラ菌は遺伝子型がバングラデッシュのもので、国際援助隊が地震の際持ち込んだものと言われており、現にバングラデシュでも強毒型のコレラが流行しているとのことである。これらの国への赴任には予防が必須で、経口のコレラワクチンや抗菌薬の持参の必要性について説明された。
(2) 旅行者下痢症
旅行者下痢症はその6割が大腸菌によるもので、発展途上国へ赴いた渡航者の3分の1がかかると言われ、発症を前提に内服薬持参の重要性を説明された。クラビットは1〜2回飲むと症状がかなり治まり、日本では販売されていないペプトビスモは欧米では発展途上国へ赴くときの予防によく使用されている液体とガムの製剤で、旅行者下痢症を6割予防できるエビデンスもあるとのことである。
(3) デング熱
デング熱は昨年東南アジアで大流行したが、富裕層が受診する病院においても2010年の7月〜9月は毎日50人程の患者数があったそうである。重症化した例はほとんど見られず、日本人は帰国後発症する例も多いとのことである。デング熱は蚊に媒介されるため、水が多く蚊の多い寺院などの周辺は、近寄らないようにする方が賢明であると説明された。
(4) チクングニア熱
チクングニア熱はデング熱と類似したウイルス疾患で、発熱と関節痛が特徴である。チクングニアとは「腰をかがめて歩く」という意味で、患者はそのような様子であるとのことである。2005年よりインド洋周辺で大流行し、中国の広東省やイタリア、日本でも確認されているが命にかかわることはまれであると説明された。
(5) マラリア
マラリアの日本の患者数は激減しており、理由の一つとして2000年から販売開始されたメフロキンがマラリアの予防に効くためだと考えられているとのことである。しかし、世界的には減少しておらず、熱帯熱マラリアは5日間治療しないと命を落とす確率が上がるため予防が大切だと説明された。メフロキンは精神神経系の副反応の発現が多く、安易に使用することは避け、感染リスクの高い国に赴く場合に用いるといいのではと述べられた。
(6) B型肝炎
日本ではB型肝炎の遺伝子型はB・C型が多く、慢性化することは少ないが、最近遺伝子型がA型のものが増加しているとのことである。A型の遺伝子型は性交により感染することが多いため、A型の遺伝子型が多いインドでは性的な関わりは避けるよう注意喚起がなされているとのことである。
(7)はしか
はしか(麻疹)は日本ではかなり減少している。日本は麻疹の輸出国と言われていたが、今では日本への持ち込みが危惧されているためアジア・アフリカにおいては現地でかからないようにする必要があると説明された。
(8) 多剤耐性菌
2010年9月、国内の2か所の大学病院にて多剤耐性菌の院内感染が発生し、一例の多剤耐性アシネトバクターは免疫が落ちた方にのみ感染するものであるが、もう一例の多剤耐性大腸菌は、健常者にも感染すると説明された。この多剤耐性大腸菌は南アジアの医療機関のみならず市中でも広がっているが、理由の一つに抗菌薬の濫用があるとのことである。南アジアでは安易な外科処置は避け、受診後の手洗いは必須であると説明された。院内感染対策をしている医療機関にかかることが勧められるが、これを探す目安の一つとして、JCI(Joint Commission International:アメリカ発の任意の医療品質管理団体)の評価基準をクリアしている病院が望ましく、この基準では感染対策が厳しいものとなっているとのことである。
2) インフルエンザについて
(1)季節性インフルエンザ
イギリスではタミフルが手に入らないほど流行したが、2011年に入って少し減少したとのことである。日本では2009年は20歳未満が多かったが、2010年から2011年は20歳以上が多い。2009年新型インフルエンザが流行した時には企業でも様々な対策を講じたからではないかと考えられると説明された。
インフルエンザワクチンの健常な成人への予防効果は70〜90%であり、感染しても軽症で済む場合がほとんどである。また経済的効果として、医療機関への受診が13〜44%減少、欠勤が18〜45%減少、職場での能率低下が18〜22%減少する。よって企業の従業員へのワクチン接種は節約になると説明された。
(2)高病原性インフルエンザと新型インフルエンザ
H5N1型インフルエンザは2006年に流行し、新型インフルエンザになるのではと危惧された。国内では人への感染は認められなかったが、アジア・中東・アフリカにおいて人への感染が認められ、いつフェーズ4になるか分からない状態であるとのことである。また、鳥から人へ感染したインフルエンザがヒト-ヒト感染を起こすことが危惧されていたが、最近では鳥から豚へ感染し、豚の体内でH5N1型とヒトウイルスが混じりあってヒト-ヒト感染を起こすのではと危惧されているとのことである。流行している国へ渡航するときには鳥に近づかないようにし、JOHACガイドラインを再度見直しておく必要があると説明された。
3) 海外勤務者への感染症対策について
まずワクチンについて、最近は流行していない地域へ赴くのにもワクチンを接種するなどの過剰対応や、出国直前に間に合うものだけ接種するといった泥縄式の対応が増えているそうである。様々な国へ赴く可能性がある勤務者には一通り接種させることは有効だが、コストエフェクティブか否か検討する必要があると説明された。また、海外勤務者のワクチン選択の基準は優先順位が変化しているため「海外渡航者のためのワクチンガイドライン2010」や「海外旅行者のガイド」等で確認しておくことを勧められた。
さらに、海外の医療衛生情報は、検疫所や国立感染症研究所、東京医科大学等さまざまな施設のホームページ等をこまめにチェックすることを勧められた。
昔と違い、海外勤務も珍しくなくなったが、今後も注意しなければならない課題が存在する。企業側と海外勤務者本人の双方が注意を払って、海外でも大いに力を発揮してもらいたいと結ばれた。
シンポジウム『海外勤務者のメンタルヘルス対策』
続いて、シンポジウムではまず『海外勤務者のメンタルヘルス支援をめぐって』と題して横浜労災病院心療内科の津久井要先生が登壇された。
海外勤務者は仕事上のストレスに加えて風土・言語など仕事外のストレス要因が増大するほか、ストレス対処行動や社会的支援などの緩衝要因が減少するため、疾病発症リスクが高まると述べられた後、コンプライアンス(法令遵守)の観点から海外勤務者のメンタルヘルス支援について述べられた。
海外出張中の自殺で労災が認定された判例で、「海外においては心因性精神障害の発症の危険性が高まるということは、一般論として是認することができる」とされ、また、海外出張で過労死が認められた判決では「海外出張は相当の疲労を蓄積させる」と認められたことを説明され、海外出張という質的な面から労災や過重労働を認めた判断は画期的であったと述べられた。
次に海外在住精神科医師の観点から話された。海外勤務では症状形成要因が複雑で、状態が極めて軽度で個人の自然回復力が大きい場合を除いては、薬物療法と休養にあまり期待できないとのことである。強い自殺念慮や強固な妄想がある場合は現地での入院を検討し、現地の外来対応は1ヶ月が限度であると説明された。メンタルヘルス不調者の対応は国内外で異なることを挙げられ、どういった支援が必要かシンポジウムで検討していきたいと結ばれた。
続いて、『海外勤務者のメンタルヘルス支援 EAPにおける支援システムの現状と課題』と題して、東京海上日動メディカルサービス株式会社の臨床心理士、村上裕子先生が登壇された。村上先生が所属されているEAP機関は、ストレスチェック結果に応じたフォローや相談対応、人事へのコンサルテーションや研修の実施など幅広く活動されている。
村上先生は先ず、海外勤務者は相談を躊躇してしまい、発見が遅れがちになることや、メンタルヘルス不全になると外国語能力が低下することに触れられた。特に帯同家族は会社が把握し辛く、本人を含めて帰国させなければならない状態になることもあると説明された。
続いて、現地での不適応事例や職場の人間関係の事例、帯同家族の事例を紹介された。
不適応事例については本人の気持ちに共感するとともに、先に赴任した人から色々な情報をもらい、環境改善につなげるよう努められている。現地医療機関受診や産業医との連携を拒否された事例では、重役が出張で海外事業所を訪問した際に相談することで好転したと話された。精神疾患のコントロール中の妻を現地へ呼ぶかどうかの相談事例では、主治医に英文の診療情報提供書を書いてもらって、現地受診先を探しておくよう伝え、状況が悪くなりそうなら人事への相談も考慮に入れるよう助言されたとのことである。
海外勤務者のメンタルヘルスの特徴としては、ストレスの身体化が大きく、フィジカル・メンタルと分けにくいことや、生活面の困りごとがメンタルヘルス不全につながっていくことがあると説明された。また職場の規模が小さいほど人間関係問題のインパクトは大きくなることや、日本の生活から離れることによって生き方の悩みに繋がることが多いという特徴もあるそうである。日本に戻った後の職業生活を気にして、会社に知られたくないというケースはとても多いと説明された。
外部EAPによる援助の効果としては周囲に知られることがないこと、日本語で相談できること、専門家間のネットワークが利用できることなどがある。課題としては遠隔操作であるために緊急時の介入は困難である他、赴任前後のアセスメントが不可能であること、人事職制への働きかけは簡単ではないことなどがあると話された。外部EAPは万能な援助システムではなく、産業医・健康管理スタッフ・現地専門機関・大使館等利用できるものは利用するという方針で対応されているとのことである。
今後は、渡航前研修による支援や現地連携先の確保、契約企業の人事・産業医との連携、家族の支援の強化等を課題として取り組まれると話された。セーフティネットはたくさんあっていいと思われるので、外部EAPをうまく活用していただきたいと締めくくられた。
続いて、『勤務者及び帯同家族へのメンタルヘルス支援-企業内における支援システムの現状と課題-』と題して、三菱電機株式会社本社人事部国際人事グループの臨床心理士、小林由美先生が登壇された。小林先生は海外勤務者のメンタルヘルスを担当する専門の部門にて活動されている。
支援内容は一次予防として、本人及び帯同配偶者、拠点長に対する講義や赴任予定者と帯同配偶者の全員面談を実施されているとのことである。面談でのアセスメント結果を4段階にて評価され(@赴任再検討A支援要B要観察C通常支援)、赴任後は、3か月後を目途にフォローメールを発信されていると説明された。二次予防としてはカウンセリングを実施しているほか、外部EAPを利用されているとのことである。
緊急時には、帰国が必要か、現地療養か、小林先生が判断され、産業医や人事部門と連携して必要な対処を行われているが、個人情報については大きな課題であると話された。海外勤務という特性上、国内より早めに人事に伝えるよう説得する工夫をされているとのことである。
具体的な相談例として、赴任前面談にて通院治療中であることが判明し、赴任再検討となった事例や、人間関係の悪化からメンタルヘルス不調に陥ったが、環境調整にて改善した事例、状態の悪化から即帰国という緊急対応に追われた事例、帯同家族のストレス蓄積によるカウンセリング対応をされた事例を紹介して頂いた。
支援の効果としては、赴任前面談にて個人の特性に応じた支援が可能となり予防措置につなげられることや、赴任前研修にて早期発見につなげることができること、組織的問題へのアプローチが実施できることなどを挙げられた。一方、課題としては平時における医療判断を小林先生お一人でされていること、人事部門の介入時期の問題、安全配慮と健康情報の取り扱いについて挙げられた。
今後、産業医と小林先生、人事部門にて海外メンタルヘルスチームを形成される予定とのことであり、組織的な信頼性の高いシステムが構築できると期待されているとのことである。
シンポジウム後のディスカッションでは、活発な議論が展開された。
村上先生にはメール相談から電話相談へ切り替えるタイミングについて質問があり、症状にあたる内容がメールに記されていた場合や調子の悪さがうかがえる場合、より詳しく状況を把握するために直接声を聴くようにされていると回答された。また産業医との連携を拒否された場合、何かあった時のリスクはEAP側が持つのかという質問には、リスクはある程度負っていて、対応については精神科医をはじめとするチームで検討するようにされているとのことであった。自殺の危険がある場合等緊急時を除いては、本人の了解を得て会社側に伝えるよう努められていると説明された。
小林先生には赴任前面談の実施状況や新たに発足される新体制についてのご質問や意見が多く出た。赴任前面談は赴任が決定した時に実施される本社での研修の日程に合わせて行い、難しければ出張面談をされるとのことであった。新チーム発足については、現在のメリット・デメリットを明確にし、会社が負うリスクを会社側に伝え、理解者を増やしていったとのことであった。また、人事部門が新チームに加わることについて、個人情報の観点ではリスクが増すのではといった意見が出た。新たな課題がでることをまず想定しておき、情報を渡す線引きは産業医ときちんと意思疎通を行って各々の立場をうまく機能していけたらということで議論を締めくくられた。
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