第12回海外勤務者健康管理研修会(2011年8月27日、野村カンファレンスプラザ大阪御堂筋、大阪)前半は大阪大学微生物病研究所の大石和徳教授が「海外勤務者のための熱帯感染症学講座」と題して講演された(座長は大阪産業保健推進センター特別相談員 橋本博先生)。 途上国へ渡航した5,000万人の旅行者の8%以上に旅行中や帰国後の健康問題が発生するが、渡航後の患者の67%は、1)全身性発熱性疾患、2)急性下痢症、3)皮膚疾患、4)慢性下痢症である。全身性発熱疾患のうち、マラリアはサハラ以南のアフリカに多いが、デング熱は東南アジアやカリブ諸国に多い。 渡航後の旅行者における熱性疾患の診断チャートが示され、発熱患者へのアプローチのあり方、 特徴的な出血症状 などの診察所見について解説された。 狂犬病の伝搬様式には咬傷以外に傷口や正常粘膜を舐められたり、エロゾル吸入や角膜移植による感染例もあること、飲水時の吸気筋の反射性緊張により恐水スパズムがおこることなどの臨床像が解説された。暴露後はウイルスビリオンが一旦神経終末に侵入すると免疫応答では発症を予防できない。そのため、神経末端に侵入する前に中和することが暴露後予防の目的であり、創傷処置、組織培養ワクチン、RIG投与を正しく行えば100%予防できるが、ワクチン接種が遅れたり、RIG投与の失敗、免疫低下による抗体産生低下などで失敗することもある。 ご専門のデング熱については、デングウイルス感染後5〜9割は不顕性だが、残りが発熱・点状出血皮疹・血小板減少を3徴とする急性熱性疾患として発症し、頭痛・筋肉痛・関節痛が通常見られること、さらに、デング出血熱は既感染例で発症しやすく、血管透過性亢進に伴うショック・胸水・腹水がみられるが、解熱後に水が血管内に戻ってきてオーバーロードになること、デング出血熱では血小板数減少がより顕著であること、DICscoreが高いことなど、病態生理を明らかにしながら解説された。地球温暖化に伴い、日本でも発生が危惧されるデング熱について専門家の有意義な話を聴くことができた。 後半のシンポジウム「海外勤務者とトラベルクリニックー派遣国の多様化と健康管理の重要性」では、日本渡航医学会の著名な3人の先生の協演となった(座長は事務局久保田昌詞)。 まず、東京医科大学病院渡航者医療センター教授の濱田篤郎先生が「日本におけるトラベルクリニックの現状と今後」と題して講演された。 トラベルクリニックは、1)渡航中の健康指導、2)滞在先の医療・衛生情報の提供、3)予防接種・予防内服、4)携帯医薬品の販売、5)帰国後の対応、などを目的に1960年代後半から欧米で始まった。1989年に Interational Society of Travel Medicine の第1回大会がチューリッヒで開催され、Travel Medicine (渡航医学・旅行医学)の定義として、「国際間の人の移動にともなう健康問題をあつかう医療」とされた。西ヨーロッパと日本のトラベルクリニックの違いとして、西ヨーロッパでは受診者数が年間1万人以上で、旅行者が中心であり、健診はあまりやっていないのに対し、日本では勤務者がメインの対象者で、健診を中心業務としていると話された。また、欧米では渡航医学が医師の一般的知識として普及し、GPが第一線として活躍しているのに対し、日本では一部専門医の知識に留まっていることを指摘され、日本におけるトラベルクリニックは海外渡航者のためのGPとしての機能をもつべき、と結ばれた。 続いて、久留米大学医学部感染医学講座教授の渡邊浩教授が「海外勤務者の感染症対策」の演題で講演された。 渡航医学における諸問題の中でも、流行している感染症が国や地域によって異なることは大きな問題である。しかし、日本人渡航者はネパール人医師の警告にもあるようにワクチン接種率が低い。 2006年に京都府と神奈川県で狂犬病の輸入例が発生したが、いずれもフィリピンでの咬傷が原因と推測されている。例えばタイ旅行者の犬に舐められたり、咬まれたりした頻度は8.9%、1.3%と高い。一旦発症した場合の致命率はほぼ100%であり、暴露後予防が必須である。 海外渡航者にとってのワクチンには、1)Routine immunization(定期接種のワクチン:3種混合、ポリオ、麻疹・風疹など)、2)Required immunization(黄熱、アフリカや南米の一部の国への入国時に接種証明書の提示が要求される)、3)Recommended immunization(A型肝炎、B型肝炎、腸チフス、髄膜炎菌、狂犬病、日本脳炎、破傷風など)、がある。 2007年に開設された久留米大学の海外旅行外来(後に海外旅行・ワクチン外来へ名称変更)では約半数の受診者がビジネス目的であるが、ワクチンでは予防できない疾患に関する情報提供にも力を入れている。帰国後の健康相談は2007年から2010年に22件あったが、イヌ咬傷が4件、ネコ咬傷が1件あり、いずれも暴露後狂犬病ワクチンの接種で発症には至っていない。 さらに、渡航に際してリスクの高かった症例や、フィリピンからの帰国後に肺炎球菌による髄膜炎を発症して亡くなった症例などを話された。 最後に登壇された関西医科大学公衆衛生学講座の西山利正教授は「トラベルクリニックーその芽生えと将来ー」と題して講演された。 日本渡航医学会の前理事長であられる西山先生は先ず渡航医学の芽生えについて触れられ、欧米では帝国主義に基づき大航海時代から植民地経営の重要な医療分野として発展したのに対して、日本では2000年前後より医学領域に体系的に確立してきたと話された。日本では感染症学領域から始まり、海外での生活習慣病管理など産業医学の新しい分野として専門分化している。そのような渡航医学の実践の場がトラベルクリニックであるとされた。関西医大滝井病院の海外渡航者医療センターや四ツ橋AYクリニックでの実績を提示された後、渡航者下痢症の輸入症例について触れられた。起因菌としては赤痢(31%)、腸チフス(13%)、パラチフスA(12%)、腸管毒素原性大腸菌(ETEC)(6%)などの頻度であった。腸チフスやパラチフスはインド亜大陸からの帰国者が多い。ETECも同様であるが、タイやインドネシアからの帰国者も増えていると指摘された。帰国後の発熱症例としてレプトスピラ症の事例を紹介された後、今後トラベルクリニックは受診者数増加に伴い、一診療科として確立していく一方、渡航医学に従事する臨床家に対してより高い専門性が要求されることになるだろうとの展望をのべられた。 当日は午後3時以降バケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨が発生し、新幹線も一時停止するなど大変な天候であったが、ほとんどの方が最後まで熱心に聴講された。 |