海外勤務者健康管理研修会

報告 第8回海外勤務者健康管理研修会(2)

2.シンポジウム 「海外勤務者の生活習慣病対策」

座長 富士電機リテイルシステムズ(株) 五十嵐千代先生

1.「勤労者における糖尿病治療と療養指導のポイント」

帝京大学医学部附属溝口病院 第4内科 准教授 原眞純先生

糖尿病では毎年4000人が失明し、13000人が透析導入され、透析導入後は5年で半分が亡くなられる。糖尿病があると虚血性心疾患や脳血管障害など動脈硬化に基づく疾患のリスクは3〜5倍になり、平均余命も10年ほど短くなるなどの問題がある。このような合併症の予防こそが糖尿病治療の最大の目的である。

糖尿病の合併症には糖尿病に特異な最小血管合併症と、特異ではないが動脈硬化を背景として糖尿病に多い大血管障害がある。細小血管合併症は糖尿病の自然経過の中でどの時期に発症してくるのかが知られているが、糖尿病発症後数年間はみられない。一方、動脈硬化は糖尿病発症前のインスリン抵抗性、食後高血糖などの時期にすでに始まっている。

細小血管症はDCCT研究やUKPDS研究でHbA1cを良好に保つことで予防できることが明らかになり、日本の熊本スタディの成果も含めて血糖コントロールの目標を6.5%未満にすることが推奨されている。しかし、腎症の進展予防にはそれだけでは十分ではなく、血圧をしっかりコントロールして蛋白尿を減らすことが腎症の悪化を防げる。細小血管症には発症の順序があるため、発症早期より評価して、進行のスピードに応じたフォローアップを行うことが重要である。

一方、大血管症には血糖以外の要因も重要で、コレステロールや血圧も下げなければならない。禁煙も重要である。これらを総合的に厳格にコントロールすることにより、心血管疾患も予防できることが Steno-2 スタディで示されている。DCCT研究後、通常治療群も強化療法群と同じようにコントロールを行ったが、最初に強化療法を行った群の方が心血管イベントの発症率が低かった(EDICスタディ)。これはメタボリックメモリーとかレガシーイフェクトとか言われているが、早期に糖尿病に対してちゃんとした治療をすることが重要であることを示している。一方、血圧にはレガシーイフェクトはないので、コレステロール同様、しっかりとコントロールすることが重要である。

最近発表された研究では強化療法を行った方が心血管イベントが多発したとの報告があるが、10年以上血糖コントロールが悪かった人を急激にコントロールしたのが原因と言われているので注意が必要である。心血管疾患疾患は糖尿病歴が短くても、血糖コントロールが良くても起こりうるので、リスクの高い症例では冠動脈CTなどで渡航前に評価を行う必要がある。

最近の糖尿病治療の話題のひとつにBOT療法がある。持効型インスリンで基礎インスリン分泌を補いつつ経口薬を併用する治療法で、1日1回だけという点で注射の受け入れが得やすい上、当初は(インスリン量を少なくして始めれば)自己血糖測定も必須ではないので、外来で導入しやすいという利点がある。ただ、十分な血糖コントロールが得られないときには強化インスリン療法などへの変更が必要となる。

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企業診療所で糖尿病管理をしていてやりやすいと感じたことは、健診データが蓄積され、すぐに参照できること、未受診の場合、受診勧奨しやすいことなどがの利点がある。問題点としては高度の検査ができないので、基幹病院などと連携して、冠動脈CTなどは外来で行ってもらうことなどが必要である。また、無関心期の患者が多いことも問題で、自分の意志で受診したわけではないため、糖尿病を放置した場合の危険を強調して脅してもますます心を閉ざしてしまうケースもある。そのような企業診療所では定期健診や要管理健診などをうまく活用して呼び出し、外来治療につなげるとか、海外勤務者には電子メールでやり取りするとか、血糖自己測定をしてもらうためにBOT療法を開始し、自己測定をすることで自己意識を高めるなどの工夫が可能である。

海外赴任者に対しては、赴任前に「海外で何かあったら困る」と感じているときに、合併症の評価するための精査をしたり、教育入院したりして、治療への意欲を高めることが大事である。赴任後に半年や1年帰ってこない人には海外の医療機関を受診してもらうことが必要になるが、治療薬の違い(メトホルミンや高脂血症薬が日本の使用量より多い、インスリンが使い捨てペン型ではなく、ヴァイアルである)など医療体制の相違や問題が起こった時の対処などに課題がある。一番頼りになるのは現地社員からの情報で、日本人医師や信頼できる医療機関についての情報などを収集して、赴任者と共有するなどの工夫が大事である。

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2.「高血圧・狭心症・心筋梗塞の診断・予防・治療について」

東京大学医学部附属病院循環器内科 助教 齋藤 幹先生

日本人は欧米人に比べて心血管イベントが少ないと言われてきたが、食生活の変化でコレステロール値が上昇したり、糖尿病患者の増加も著しいことから、今後増加していく懸念がある。脳出血や心筋梗塞は働き盛りの比較的若年層にもしばしば見られる疾患であり、海外勤務者にとっても予防や診断・治療は重要な問題である。

高血圧は2000年の調査によると30歳以上の日本人男性の約半分、女性も4割は罹患している。日本で過去に死因のトップであった脳卒中は、血圧の低下とともに死亡率が著しく低下したが、2005年の人口動態統計でも脳卒中死亡率は、急性心筋梗塞死亡率よりも3倍高い。一方で、久山町研究での脳卒中発症率や、NIPPON DATAでの循環器疾患死亡の相対リスクにみるように、血圧が高いほどリスクが高まり、また、若い人では同じ血圧でも高齢者に比べて高血圧の影響が大きいことから、若い人ほど降圧治療をした方がよい。

食塩摂取量が多い集団では血圧が高く、個人の食塩摂取量と血圧にも正の相関がある。24時間蓄尿の成績からみた現在の日本人の食塩摂取量は男性で12g、女性で10g程度である。国民の食塩摂取量が6g下がれば30年後には収縮期血圧の上昇が9mmHg抑制されると推定されている。血圧水準が1-2mmHg下がるだけで脳卒中や心筋梗塞の罹患率・死亡率に影響があることが知られている。個人個人で2mmHg下げてもどれだけ意味があるか分からないが、全体としてみれば意義がある。

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高血圧の診断ではレジュメに書いたようなような方法で(1-2分の間隔をあけて少なくとも2回測定し、安定した値を示した2回の平均をとるというような)測定することが勧められているが、忙しい外来でこのように行うことは実際には難しい。最近の電子血圧計は精度がよく、新しいガイドラインでは使って良いよこになっている。また、電子血圧計を用いて家庭血圧の測定が勧められている。起床時1時間以内や就寝前に測定するが、診察室での血圧値よりも家庭血圧の方が予後予測ができる。

初診時に高血圧と診断されれば、次に二次性高血圧を除外する。高脂血症、糖尿病、喫煙など他の危険因子の有無や、蛋白尿・狭心症などの臓器障害、合併症の有無を評価する。生活習慣の修正を指導した上で、低リスク群、中等リスク群、高リスク群に分け、低リスク群なら3ヶ月、中等リスクなら1ヶ月以内の指導で140/90mmHg以上なら降圧薬を開始する。高リスク群は直ちに降圧薬を開始する。

このリスクの層別化においては、V度高血圧(180/110mmHg以上)かリスク第三層(糖尿病、CKD、臓器障害/心血管病、3個以上の危険因子のいずれかがある)の場合は全て高リスクであり、リスク第二層ならば中等リスクもしくは高リスクになる。この判断をして治療を始めることになる。

海外勤務者の場合、病院でみているより若い年代が多く、高血圧治療を受けたがらない人が多い。高血圧だけで他のリスクがない場合は治療をするかどうか悩む例もあるが、高リスクの場合はやはり治療を勧める。赴任先では食事や気候が変わったり、仕事上のストレスもある。電子血圧計を赴任時に持参してもらい、測定結果を帰国時に主治医に見せて治療してもらうことを勧めている。薬は海外では剤形や用量が大きく異なる場合があるので注意が必要である。

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次に狭心症・心筋梗塞についてであるが、WHOの死亡統計では虚血性心疾患による 日本の死亡率は先進国中で最も低い。Framingam研究と久山町研究を比較しても、日本では心筋梗塞が少ないが、脳梗塞は多い。

狭心症・心筋梗塞の診断で、 胸部症状に関しては専門家でないと判断できない例もある。心電図や負荷心電図、心エコー検査などが行われるが、それぞれ診断能には限界がある。核医学検査はエビデンスもあり、予後が予測できるのでよい検査である。冠動脈CTはMDCTの開発・進歩に伴い、体軸方向に0.5mmの分解能が達成されたことから、直径3mm前後の冠動脈も評価できるようになった。冠動脈CTは造影剤を使用したり、被爆の問題もあるが、外来でできる検査であり、スクリーニングにも非常に優れている。現に年1回程度の胸痛を訴えた多忙な歯科医で、外来受診当日に冠動脈CTを実施し、狭窄を認めたため、同日中にステントを入れたこともある。被爆がないMRも同様に用いられるようになってきているが、まだ、実用段階には至っていない。虚血性心疾患の治療には薬物療法、カテーテル治療、バイパス手術が行われる。

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狭心症・心筋梗塞と海外勤務者の問題について考えるために、症例を提示したい。

1例目は34歳男性で7月の海外赴任前健診にて心電図上V1〜V3にQ波を認めた。リスクとして喫煙と高LDL血症が認められた。前年度の健診では心電図は異常なく、高LDL血症が認められた。高LDL血症については要受診であったものの放置していた。その後1年の間に心筋梗塞を起こしていたことになる。冠動脈造影(CAG)で左前下行枝が完全閉塞を起しており、右冠状動脈から側副血行路ができていた。この結果をふまえ、海外赴任はせず、バイパス手術を受けられた。

2例目は45歳男性で商事会社勤務。4歳時に川崎病に罹患、3年前に大阪大学で2枝バイパス術を受けていた。海外赴任前にトレッドミル負荷心電図で陽性であったが、何もしないで出国、2年後帰国した折には安静時心電図でSTがものすごく低下していた。精査を受けることもなく、スポーツセンターでエルゴをしていた折に意識を消失、AEDで蘇生され、救急搬送されてきた。2本のバイパスが閉塞しており、虚血性の心房細動と診断された。

1例目のように精査を受けて海外赴任を思いとどまることもあれば、2例目のように何も起こらずに帰国される例もある。しかし、2例目で帰国後に虚血性の心房細動を起こしたように、仮にCAGで狭窄がなくとも心筋梗塞を予知することは現時点では難しい。症状があるものが検査や治療を受けずに海外赴任を行うことは避けなければならない。特に危険因子が多い場合は積極的に検査をして、虚血性心疾患が診断された場合には基本的に海外勤務は不可である。

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3.「海外の食事情と生活習慣病」

海外勤務健康管理センター  大塚 優子 先生

海外における生活習慣病は日本の事情と基本的に変わりはないので、本日は海外における食事情に重点を置いて話したい。

海外勤務による生活習慣の変化には良くなる部分と悪くなる部分がある。海外では食事が油料理が多く高カロリーとなること、外食での1人前が多量であること、特に中国では仕事上の宴会や接待が多いなど、食事において多くの問題がある。また、車社会で歩く機会が少なかったり、気候・大気汚染・治安の問題等で運動する環境が悪いということもある。しかし、残業が少なく、通勤時間が短いことより、夕食が早く摂れるというメリットもある。

海外勤務者の生活習慣病対策としては基本的に国内と変わらない。食べ過ぎ・飲み過ぎに注意し、積極的に運動して禁煙をするという極当たり前のことだけである。

海外勤務健康管理センターでは赴任前や帰国後の健診を実施してきた。その際に、所見のある人には栄養指導を行ってきたが、その実効性を高めるために、2005、2006年度の受検者に「海外食事調査」を実施した。地域別では、中南米・南アジア・中近東・アフリカでは日本食材の入手が困難であるが、その他の地域ではほぼ可能であった。食材別にみると、コメはどの地域でも入手可能であるが、青魚・ひじき・納豆・みそなどの調味料は入手困難な食材であった。

地域別の食事情・運動事情をみてみると、中国では仕事関係の飲酒が多く、「乾杯」と言われるたびにどんどん飲まされる。このため、酔ったふりをする練習をするよう指導することもある。油料理が多いこと、食べ放題の店が多く、食べ過ぎてしまう嫌いがある。

東南アジアでは運動としてゴルフが多いほか、都市部ではテニス・水泳・ジムなどが可能である。欧米では外食の一人前の量が多く、ビジネスランチで食べ過ぎることもあるなどの問題がある。

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次に、海外勤務者の継続医療に関する調査結果を御示したい。赴任地域別に継続医療を国内・国外のいずれで行ってるかを見てみると、北米・欧州では彼地で医療を受けている人が50%に対して国内は35%、逆にアジアでは国内が50%を超えるなど、アジアと北米・欧州では事情が逆転している。中国では3ヶ月に1度、日本に戻ってくる人が多いことも関係している。このように生活習慣病の海外勤務者が治療を受けている場所としては、日本でのみが47%と最も多かった。時々は現地の医療機関にかかっておく事がリスク管理の上で大事である。

実際に現地の医療機関の受診状況を調査した結果では、医療レベルやサービス、費用等、地域によって不満を感じる点がさまざまであった。総じて、高額な医療費への不満が多く、医療保険加入が最重要と考えられた。アフリカ・中近東・中南米では医療レベルやサービスへの不満が多く、このような場合は早めの帰国や近隣国医療機関の利用などの対処も必要と考えられた。また、専門治療が可能な病院では日本語はもとより英語も通じない場合もあり、専門治療必要時には現地医療レベルや病状を考慮し、帰国も検討する必要がある。

海外赴任前には法定の健診を受けてもらうこと、現地医療情報の提供や医療保険の説明、医療アシスタンス会社の紹介(外来を一緒に廻ってくれるサービスをする会社もある)なども行う必要がある。

生活習慣病を持つ社員が海外赴任をする場合の対応としては、基本的に、病状が安定し、本人の病気への理解が十分で、現地医療機関で治療継続が可能であるならば、赴任は可能である。その場合に、英文紹介状をもたせること、現地医療機関に関する情報提供、医療保険の確認、国内連絡真央口の確認、などを行う。追加的な話だが、インスリン治療中の糖尿病患者さんの場合は事前に航空会社に連絡しておくことが望ましい。保安検査が厳しいためで、英文の診断書の携行が必須である。

追記3:海外勤務健康管理センターは2010年3月末をもって閉鎖され、 大塚優子 先生はその後、(独)労働者健康福祉機構 横浜労災病院に移っておられる。

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(以上のプレゼンの後、座長の五十嵐先生の進行で、ディスカッションが行われた。)

赴任可否の判断に関して、「糖尿病でこれ以上悪いと赴任禁止と判断するレベルは?」との問いに、原先生は「HbA1c9-10%の場合は一度入院して状態をよくしてから行って頂くべき。病識があり、インスリン治療や血糖自己測定ができるなら、ある程度HbA1cが改善すれば赴任を許可して良い。網膜症があって治療が必要という場合には赴任を断念する」と回答された。

心血管疾患について「赴任前健診でスクリーニングすることは難しいという結論だったのか?」との質問に、斎藤先生は「日本人の場合、そもそも心血管イベント発生頻度が低いので、健診で行われる心電図検査や運動負荷心電図などはスクリーニングにならない。即ち、それらの検査で陰性だから発症しないということはない。要はその人のリスクがどのくらいあるのかを評価することが大事。特に糖尿病の場合は、胸部症状がはっきりしないことがあるので、仮に血糖コントロールが良好であっても完成された動脈硬化があるかもしれないので、(冠動脈CTにより)見つけていくことが大事。」と回答された。

海外の医療事情について、大塚先生は「普通の企業が進出しているところの医療事情はまだ悪いところはない。国や地域によっては日本式の健診をしているところもある。その受検結果を日本に送ってもらい、ストックしておくと(相談や指導に)有用である。多忙で仕事優先になって病状が悪くなってから受診する人がいるので注意が必要。」と追加された。

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